愛を貫いたペドロとイネスが眠るアルコバッサ
[2018.8.17]
町の中心に堂々と佇むその姿に感動します。
それは14世紀のお話しです。 ポルトガル王子ペドロは、お隣の国カスティーリャ王国との絆を深めるため王族の娘コンスタンサと1339年に結婚しましたが、その際コンスタンサの侍女として一緒に来たイネスに恋をします。正妻コンスタンサとの間に2男1女が生まれますが、イネスへの想いは募るばかりでした。コンスタンサが若くして亡くなると、2人の関係は公然となり、ペドロとイネスの間にも4人の子供が生まれました。ペドロの父親であるポルトガル王アフォンソ4世は、カスティーリャ王国との関係が悪化することを恐れ、ペドロを正統な相手と再婚させようとしましたが、ペドロはイネス以外とは結婚しないと断固拒否しました。正妻を差し置いて王子の愛人となったイネスを良く思う人はあまり多くいませんでした。また彼女の周りにはカスティーリャ王国からの逃亡貴族が集まり、両国の友好関係に亀裂が入ることになります。これらの状況を恐れたポルトガル王とその側近は、イネスを宮殿から追い出しましたが、それでも二人の関係は続いていました。
最終手段とし、王は3人の家臣にイネスを処刑するように命じます。とうとうイネスはコインブラのサンタ・クララ修道院にて捕らえられ、首を切られ殺されてしまいます。この事実を聞いたペドロは怒り、父親との関係も悪化します。イネスの死から2年が経ち、父アフォンソ4世が亡くなると、ペドロはポルトガル王ペドロ1世として王位に就きます。するとペドロは、自分はイネスと結婚していたと主張し、イネスを王妃として認めさせました。さらにイネスのお墓を掘り起こし、(既に白骨化していたであろう)イネスを王妃の席に座らせ、イネスの手に接吻するよう強制したそうです。そしてイネスを殺害した家臣も処刑されてしまいました。
ペドロは自分が死んだら、自分のお棺とイネスのお棺をお互いの足が向かい合うように並べてほしいと言い残しました。それは、最後の審判で死者が生き返る時、自分たち2人も起き上がってすぐに顔が見えるように、と考えたペドロの想いからでした。彼の遺言は今でも守られており、2人のお棺はアルコバッサ修道院にその通り安置されています。
ペドロ1世のお墓
ペドロ1世
イネス
ここまでは教会ですが、修道院も見学可能(有料)です。12世紀に建設が始まってから、何度か増築され、現在の姿になったのは18世紀の頃です。
美しい回廊
食堂にあるプレゼン席。ここで代表者が話をしたようです。映画に出てきそうです。
修道院を上から眺めると、その大きさに驚きます。
アルコ川
修道院のあるところにはポルトガルの黄色いお菓子もあります。
戦略結婚が多かった中世の時代に自分たちの気持ちを貫いた男女の愛。多くの人の利害が複雑に交わり、その中でも強く生きていかないといけない。そんな二人が残したストーリーと遺跡を今も目の前で見ることができます。
アルコバッサへはリスボンからバスで2時間強です。
それでは、また次回!
著者プロフィール
19歳の時にポルトガルに出会いすっかり虜になる。大学卒業後、日本で貿易実務、ロジスティクス、マーケティングの経験を積むが、日本とポルトガルをビジネスで繋ぎたいという気持ちが大きくなり渡ポすることを決意。ポルトガルに1年半留学しMBAを取得。在学中、現地企業やビジネスパーソンとの幅広いコネクションを築く。
現在はポルトガルジュエリーのブランド「フィリグラーナ・コン・アモール(Filigrana com Amor)」を立ち上げ、インポーターとして活動。日本とポルトガルを行き来しながら両国の情報を発信し、人・ビジネス間の交流が活発化するよう邁進中。
Web: http://www.shop.filigranacomamor.com/
www.eleuteriojewels.com
E-mail:s.kiriyama@worldfiligranakk.com
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